I am her , she is me .
パンネロは部屋に着いたとたんベッドに倒れこんだ。
「疲れた…」
アーシェのふりをするだけも大変なのに、それに加えて超絶不機嫌なアーシェの相手をしなくてはいけないのは想像も絶するほどの体力を消耗するのだ。
アーシェはその隣のベッドに腰掛け、神妙な顔をして足を組んだ。
「それにしても、いったいなんだってこんなことになったのかしら」
「全然心当たりないですよね」
パンネロは起き上がり、アーシェと向かい合うようにベッドの端に座った。もう自分の顔と向かい合うのはなれた。
「ぶつかって入れ替わった、とかだったらもう一回ぶつかってみたりできるんですけど」
しかしもちろん、そんなことがあった記憶は一切ない。ただ、昨日の晩いつもと同じように寝て今朝いつもと同じように起きただけなのだ。つまり、まったく原因不明なのである。
「ああ、こんなの考えるだけ無駄だわ」
一応原因を考えてみようとなったところで、アーシェがさっさと音を上げる。
「まあ確かに……あ」
「なに?」
同意しかけたパンネロが声を上げる。アーシェは彼女を期待のまなざしで見た。
「や、たいしたことじゃなくて、そういえば昨日の晩は変な夢見たなあと…」
「夢?」
「はい、めちゃくちゃ変な夢」
「どんな夢?」
「それが、変な夢だったってことは覚えてるんですけど、どんな夢かは覚えてなくて」
申し訳なさそうに眉を下げるパンネロを見て、そういえば、とアーシェも思い出す。
「そういえば、わたしも変な夢見たわね…」
「え、ほんとですか?」
「ええ、わたしもあんまり覚えてないんだけど、なんかすごく空気みたいな人が出てきたのよね」
「あ!あたしもそういえばそんな感じの人が出てきた気がします!なんか呪文みたいなもの唱えてて…」
「わたしの夢でも唱えてたわ」
「うそ!じゃあもしかして、あたしたち同じ夢見たんじゃ…」
「みたいね」
「うわーすごい。なんかどきどきしてきた」
パンネロがのんきなことを言い出した。ところでわたしの顔でそんな無邪気な顔しないでほしい。
「それにしても誰だったかしら、空気みたいな人…いやってほど知ってる人だった気がするんだけど」
むむむ、とアーシェが必死に記憶をたどっていると、パンネロが立ち上がった。
「どうしたの?」
「あの、のど渇きませんか?食堂のほうで飲み物もらってきます」
「ああ…」
すぐにもどってくるので、とパンネロは部屋を出ていった。その後姿を、まったく気のきく少女だ、とアーシェは見送った。
それにしても、同じ夢を見たということはわかったが肝心な原因はまったくわかっていない。そもそもこれは現実なのだろうか。まさか実は夢でした、なんてことはないだろうか。いやあってはくれないだろうか。しかし、朝パンネロのほほをつねったとき、これが夢ではないということは確認済みである。
「まさか、一生このままじゃないでしょうね…」
ふとひとりで呟いて、ひとりで青ざめた。パンネロはダウンタウン住まいだ。ということはこのまま元にもどらなかったら自分は下級市民として暮らさなくてはならない。想像もできない。いやすぎる。なんとか元にもどる方法を考えなくては。
部屋の扉が開いた。パンネロかと思いそちらを見ると、そこにいたのは、
「…フラン」
だった。フランはゆっくりとアーシェに近づいた。
「みんなは?」
「…ヴァンとバッシュ…おじさまは買出しに行きました。バルフレア、さんは、部屋で休んでるはずです」
「アーシェは?」
「今席をはずしてますけど、すぐもどってくると思います」
「そう…」
アーシェはパンネロの話し方を思い出しながら、かなり慎重にしゃべった。勘の鋭いこのヴィエラになにか感づかれたら困る。黙っていたいところだがフランの前でよくしゃべるパンネロが黙っているわけにはいかない。
「フランは、どこにいってたんですか?」
「ちょっと散歩に」
フランはアーシェの隣に腰掛ける。ベッドがぎし、と沈んだ。
「へえ、なにかおもしろいものとかありましたか?」
「特になかったわね…」
低く呟くフランに、アーシェはすこし驚いた。今日の彼女はものすごく穏やかな感じがするのだ。いつもの彼女からは無機質なつめたさのようなものが感じられるというのに。それは冷酷だとかそんなものではなく、川原の小石のように柔らかなつめたさで以ってそこにいるのだ。しかし今のフランは普段のそれとは微妙に違う。もしかして、と思った。もしかして、今パンネロとふたりきりという状況だからだろうか。恐らくそうに違いなかった。そう思うと、今のフランは見てはいけないもののような気がする。今のこのフランはパンネロだけが接することを許されたフランなのだ。
ひとりで急にかなり気まずい気になってきて、アーシェは焦った。思わず立ち上がる。
「あの、殿下遅いので迎えにいってきます。体調悪いみたいだから心配…」
さっきバッシュに言ったうそをここでも使いまわして部屋を出ようとした。しかし腕をつかまれて阻止される。
「どこいくの?」
「だから、殿下を探しに…」
「アーシェなんてほっとけばいいわ、それより」
突然引っ張られる。バランスを崩したアーシェはフランの腕の中に落ちる。アーシェなんて、とはどういう意味だ。それには一瞬怒りがわいたが、それどころではない。だって、ものすごくいやな予感がするのだ。
「せっかくふたりっきりなんだし…ねえ」
フラン的にはアーシェもといパンネロがもどってこないのは好都合だったようだ。腕の中に納まったアーシェを、自分の身体を反転させてベッドの方に押し付けようとする。アーシェは、なんとか背中がベッドに落ちるのは阻止したが、もうほとんど押し倒される2秒前の体勢である。…おいおいおい。アーシェは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「ちょっと、なにを…」
「ふたりっきりですることなんてひとつでしょ」
ものすごい色っぽい声で囁かれた。アーシェはこんなフランも知らない。普段もふざけて色気を放出したりしているが、今日のこれはそれとは比べ物にならない本気の色香だ。こんなフランは見たくなかった、本気で。これもまたパンネロだけが見るのを許されたフランだとしたらよけい見たくない。見たくないというかもう勘弁してくれという感じだ。というか、もしかしたらこいつら、とは思っていたが、いざこうやって見せつけられるとなぜかものすごくショックだった。混乱しながらそんなことを考えていると、フランの顔が近づいてくる。思考にふけっていたせいで反応が遅れる。やばい、と思ったころには遅かった。
「……!」
最悪だ。なにがって、唇を塞がれたのだ。アーシェはかたまった。精神が今の状況を正常に把握するのを拒否しているように頭の中が真っ白になった。しかし、フランの舌がアーシェの唇をわろうと動いたのを感じて我に返った。渾身の力で突き飛ばす。押しやられたフランは隣のベッドにしりもちをつき、思いっきり目を見開いてアーシェを見た。まさか本気で拒絶されるとは思っていなかったらしい。パンネロのことだから普段はフランにせまられたら嫌でも断れずなすがままにされているのだろう。まあそんなこと今のアーシェにはどうでもよかったのだが。アーシェは驚き顔のフランを残して部屋を飛び出した。
パンネロがふたつのコップを乗せたトレイを抱えながら部屋に向かっていると、曲がり角のほうで向こうから走ってきたらしいアーシェにぶつかりそうになった。
「わっ、え、殿下?」
ものすごい形相の自分もといアーシェを見て、パンネロは瞬きをした。アーシェはぶつかりそうになったのがパンネロだと確認するや否やその腕をつかんで走り出す。
「え、ちょ、殿下!?」
ほとんど我を忘れているアーシェに叫ぶが、聞こえないようだった。
つれてこられたのは宿屋のそばの路地裏のようなところだった。一体全体なんだってこんなところに連れこまれたのだろうか。
「殿下?」
パンネロが声をかけてもアーシェは壁に手をついて放心したままだ。今さらこの状況に絶望でもしているのだろうか。
「でん…」
もう一度名前を呼びかけたところで、アーシェがぐりんと首をまわして隣にたたずむパンネロを見た。突然視線を向けられてどぎまぎするパンネロを無視して、アーシェはため息をつく。
「…いや、なんとなくそうだろうな、とは思ってたけどね」
「え、なにがですか?」
「別にね、本人たちがそれでいいならいいけどね」
ほぼパンネロの発言を無視する半ば放心しているアーシェに、パンネロは首をかしげる。
「あまり、生産的ではないと思うのよね」
「殿下?さっきからなんの話を…」
「いつからなの?フランとは」
「え?フラン?……っ」
最初はアーシェの言葉の意味がわからなかったようだがすぐに理解したらしく、パンネロはかっと頬を染めた。なんとまあ初々しい反応であろうか。ぶっちゃけアーシェ的にはあまり好ましくない反応だ。実はすこしは否定してくれることを期待していたのに。
「な、なんで知って…?」
あわわわと動揺しまくりなパンネロ。アーシェは自分の顔がこんなかわいらしい状態になっていて非常に複雑である。なんか別の意味でも複雑である。
「別に否定はしないわよ、すきならすきでしょうがないんだし」
あきれたように腕を組むアーシェを見て、パンネロはどんどん恥ずかしそうにうつむいていくが、アーシェは全く気づかず言葉をつづける。
「でも、いつ他人がもどってくるかわからないようなところで盛るのはどうかと思うわ」
「へ?盛るって…」
アーシェはどうしようもないというふうにお手上げのポーズをとる。
「フランよ。わたしと、ていうかあなたとふたりになった途端…。全く我慢ってものを知らないのかしら、わたしたちの何倍も生きてきて」
「…ちょっと待ってください、殿下、フランになにかされたんですか?」
「…なにって。別に。ただこうあの人がぶつかってきただけよ、で、唇と唇が偶然…犬にかまれたようなもんよあんなの」
アーシェは心底いやそうに唇を歪めながら先程のできごとを思い出す。まったくうそだと思いたい。このわたしが女とキスするなんて、胸くそ悪いったらないわ。…けっこう久しぶりだったのに。
「だいたいね、あなたがちゃんと教育しないからむこうはすきかってする…」
とがめるようにパンネロをにらみつけようとして、アーシェははっとした。なぜかわからないがパンネロが半放心状態になっていたのだ。
「え、ちょっとどうしたのパンネロ」
「…え、あ、なんでもないです。はは」
あからさまに即席な笑顔を作ってパンネロは大丈夫だと首をふった。しかし明らかに大丈夫ではない。
「うそおっしゃい。どうしたのよ」
「……」
パンネロはうつむいた。アーシェは首をかしげる。
「…キス、したんですか?」
「キスって、別にあんなの…あ」
はん、と鼻で笑ってありえないと首をふったところでアーシェは気づいた。
「…や、キスじゃないわよあんなの。ただの事故よ事故」
もしかしなくても、どうやら自分はものすごく重大なことを言ってしまったらしい。
「言ったでしょ、犬にかまれたようなもんだって」
「あ、いや、別にそんな…気にしてないんで」
あはは、とパンネロが笑うが、微妙にうつろな目でそんなこと言われても説得力はかけらもない。アーシェはなんだかものすごく悪いことした気がしてきた。
「…あーほら、身体はあなたのものなんだし問題ないわよ。それにフランだってあなたにしようと思ってしたわけで他の誰にしようとしたわけじゃないし」
「や、ほんと気にしてないんで。殿下も気にしないでください。はは…」
言葉と表情が全くかみあっていないパンネロ。こちらまでいたたまれなくなってくる。どうしたものかとアーシェは言葉をつくろってみる。
「だいたい、あれよ、今さらそんなことで悩んだって、あのフランなんだからどこで誰とキスしてるかなんてわかったもんじゃないわ、だから今さらそんなうじうじしないの」
しかし残念ながら、アーシェは人を慰めるのが極端に苦手だった。むしろそんなことしたことがなかった。しょうがないじゃないか、王女なんだから。もちろん今の言葉でパンネロはとどめをさされたかのように先程以上に沈む。もう沈みようがないってくらい沈む。アーシェは、どうしようもなくなる。
「…わかったわ」
「え…」
急に神妙な声が聞こえて、パンネロは思わず顔を上げる。するとそこにあったのは自分の顔のどアップだった。
「え、ちょ、なに、殿下?」
「返してあげるわよ、それでいいでしょ?」
「は…?」
つまりそれって、わたしが奪ってしまった唇は、口付けで以ってお返しするわ、ってことですか。…いや冗談でしょう。パンネロはそんなまさかとアーシェを見るが、彼女の目は据わっている。パンネロは、アーシェが本気だと悟った。
「ちょ、ちょっと待って!そんな問題じゃないっていうかむしろ自分の顔とキスするのってけっこう抵抗あるっていうか!」
「わたしだって自分の顔とキスするのなんて嫌よ」
「だったらやめてくださいってっ」
「うるさい。おとなしくしてなさい」
パンネロの頬を両掌で包んで逃がす気のないアーシェ。彼女の頭の中のねじは度重なるストレスにより一本どこかに飛んでいっていたのだ。すでに冷静な判断力などない。
もうふたりの唇の間があと数センチ、数ミリというところで、ふいにかつ、とヒールが地面をたたく音が聞こえた。その音で我に返るふたり。主にアーシェ。一斉にそちらを見ると、そこに立っていたのは。
「ふ、フラン…」
パンネロが思わず呟く。フランは、薄暗い路地裏の入り口のほうに静かに立っていた。そして、じっと接近しまくりなパンネロとアーシェを見ている。そこではっとしたパンネロはアーシェを突き飛ばす。ふたり的にはアーシェがパンネロに襲いかかっていてそれを見られてやばいという状況だったのだが、ぶっちゃけよそから見たら先程の光景はパンネロがアーシェに襲いかかっている図だった。フランにだってそのようにしか見えなかっただろう。それは確実に前者よりもやばい。だって、パンネロがちょっかいを出されるならともかく彼女がちょっかいを出しているのだ。明らかな浮気現場遭遇である。
「ああ、そういうこと…」
驚くほど冷静に呟き、フランは身を翻して去っていく。その後姿はものすごくまがまがしかった。すくなくともふたりが石化してしまうくらいには。…やばい。めちゃくちゃやばい。
「…ど、どうするんですか〜!」
先に我に返ったのはパンネロだった。アーシェの胸倉につかみかかりがくがくと揺さぶる。あーまずった、とアーシェは揺さぶられながら額を押さえた。
「誤解された!誤解されちゃったじゃないですか!」
「…どうしましょうね」
「た、他人事だと思ってー!…てか、もしかしてさっきのってあたしが殿下に襲いかかってたみたいに見えたんじゃないんですか!?」
「…まあ、そうでしょうね」
今やっと気づいたらしい。
「ど、どうしようどうしようー!」
多分どうしようもない。そう言おうと思ったが、そんなこと言ったらパンネロが首でもつりそうな勢いだったのでよした。
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