gynie series





227 ウェルカム・トゥー・マイホーム (ジニーシリーズ11)


「あら、こんにちは」
「…こ、こんにちは」

 もう二度と会うことはないと思っていたのに、案外とあっさり再開の機会はおとずれた。そしてここで重要なのは、パンネロは真剣にそれをもとめていなかったということである。

「おぼえてる?私のこと」
「あ…はいもちろん。あの、せんぱいの…」
「ええ、同居人のフランよ。あなたは、確か…パンネロさんだったかしら。アーシェからきいてるわ」
「はあ、せんぱいから……」

パンネロがうつむくと、フランはにっこりと笑った。

「学校帰り?」
「え、はあ、まあ」

 いつもの帰り道、まさかこのひとと会うとは思っていなかった。いままでこのひとと思しき女性をここで見かけたことはない。しかもこんなタイミングで、である。パンネロはあらためて自分の不幸を呪った。

「今日はバイトじゃないの?アーシェは確か今日はバイトだって言ってたけど」

ぎく、とパンネロは肩をゆらした。

「あ…えっと、その。せんぱいといっしょのとこ、やめちゃったんで……」
「やめた?どうして?」
「いやあ…」

あなたが原因です、だなんて言えるはずもなく。そもそも、彼女のせいだなんて考えるのはおかどちがいだ。自分が勝手に気まずくなって勝手にやめただけなのだ。それでもついそんなふうにかんがえてしまって、パンネロは歯噛みした。
 パンネロがだまったままでいると、別段答えをまっていたわけでもないフランはふうんとわずかに思案し、すぐににこりと笑った。

「じゃあ、ちょうどよかったわ。ちょっときてくれない?」
「え?」

パンネロが声をあげると、フランは肩をすくめた。

「実は、アーシェったら風邪をひいたみたいで。昼間に帰ってきたと思ったらそのまま寝こんでるの。だから今日のバイトは休ませたわ、最初はいくってきかなかったけど」
「え……、だ、大丈夫なんですか、せんぱい」

言ってから、自分の声から動揺がにじみですぎている気がして恥ずかしくなったが、フランは気にもとめず悩ましげにため息をついた。

「本人は大丈夫だって言ってるけど。あの子見た目どおりいじっぱりだから本当はそうとうきついんじゃないかしら」
「そうなんですか……」
「それで、あなたになにかつくってほしいの。私は病人食なんてつくれないし」
「あ、も、もちろん!つくらせてください、ぜひ!」

いきおいよくパンネロがうなずくと、フランは、よかった、とまたにこっと笑った。



027 なんなの一体 (ジニーシリーズ12)


 目的地にたどりついた。もう二度とこないんだろうなあと漠然とかんがえていた場所である。フランがポケットから鍵をとりだしてなれた手つきで錠をあける。それはとても自然なことであるのに、パンネロはすこし傷ついた。
 はくものをしまう棚とかさたて以外なにもない簡素な玄関。せんぱいらしい、とパンネロは思って、それからやっとここにはいるのははじめてなのだと気づいた。

「どうぞ」

 フランにうながされおくへすすむと、やはりむだなものなどかけらもない生活感にかける居間があった。せんぱいらしいな、とまた思って、ぼおっと部屋をみわたしてからはっとした。

「あの、せんぱいは?」

いつのまにかソファにこしかけていたフランのほうをふりかえり、至極当然の問いをなげた。病状がひどすぎてあえないということでもフランにアーシェのようすを確認してきてほしい。パンネロはそう思って、恐らく彼女の寝室があるであろう方向をちらりと見た。しかし、フランの口からでたのは予期せぬ言葉であった。

「アーシェ?アーシェなら、いまごろバイトに精をだしてるんじゃないかしら?」

一瞬言葉の意味がわからなかった。あまりのことで聞きかえすのもわすれた。パンネロがぽかんと口をあけていると、フランはそれを一瞥したあとテレビのリモコンに手をのばし赤い電源のボタンをおした。

「アーシェが風邪ひいたっていうのはうそ」
「……うそ」
「それも、極上に悪質な」

フランはおもしろそうに口元をゆがめて自分の携帯電話をもちあげた。

「アーシェにね、メールを送っておいたの」
「な、なんて」
「それは秘密。教えちゃったらおもしろくないもの」

ぽい、とフランはそれをソファのうえになげた。パンネロは、いまだ状況を理解できていない。

「なんで、そんなうそ」
「だって、そうでも言わないときてくれないでしょう?」
「だから、なんでそんなことしてまでここにつれてきたかったのかって」
「……そうね、簡単に言えば、ひまつぶしってやつかしらね」

ひまつぶし。パンネロは目をぱちぱちとした。彼女がなにを言っているのかわからない。ひまつぶし?しかし、フランは自分に悪意をもっている、という気はなんとなくした。

「……帰ります」

 パンネロはそう言って足早に部屋をでようとしたが、いつのまにか背後まできていたフランに手首をつかまれた。

「あら、帰っていいの?それじゃあ、アーシェが帰ってきてからあることないことあの子にふきこんでもいいの?」
「……」

その言葉にパンネロがひるんだのを容易に見てとったフランはすぐに手をはなし、ソファにもどった。

「あの子が帰ってくるまでひまだろうから、夕食でもつくってるといいわ、もともとそういうことしにきたんだし。材料は冷蔵庫のなかのものすきにつかっていいから」

アーシェもきっとよろこぶわ。フランはいけしゃあしゃあと言いきり、愕然とするパンネロをそのままに、さきほどからつけっぱなしになっていたテレビの画面にやっとむきあった。



255 透明な宇宙 (ジニーシリーズ13)


「あなた、アーシェのどこがすきなの?」

 声にはわざと不思議でたまらないといういやみったらしい色をふくませた。しかし彼女はそれに気づくことはできなかったようである。

「いたっ」

それというのも、フランの唐突な発言によってうまい具合に動揺したせいで手元が狂い、包丁の先がパンネロの指の皮膚をすこし切りさいてしまったからである。思わず傷ついたほうの手を引っこめると、その拍子に包丁がまないたの上にかつんとたおれた。

「……そのタイミングで指を切るなんて、ベタ以外のなんでもないわね」

 特になんの感慨もなく呟いたフランに沈黙で返事をして、パンネロは血が浮きでてくる傷口を見つめた。じわりと赤が広がる。いやだな、とまゆをひそめると、それと同時にその手首がつかまれた。もちろん、フランにである。状況が理解できていないままのパンネロの手を、フランはぐいと自分の口元まで引き寄せる。ふん、と本意のわからぬ笑みをその顔に浮かべて。

「ここでこれをなめれば、もっとベタな展開になるのかしらね?」

パンネロは驚きのあまり手をふりはらうことも忘れた。その間もフランはパンネロの指先を唇に近づける。もうふれあいそうになる。思わず身をかためたところで、予想外にもパンネロの左手は解放された。重ねて驚くパンネロを尻目に、フランはため息をついた。

「冗談よ、お嬢さん。そんなせっぱつまった顔しないで」

弱いものいじめをしてる気分になるから。つまらなそうに肩をすくめ、フランはパンネロに背をむけてキッチンからはなれた。いまののどこが弱いものいじめじゃないと言えるのだろうか。パンネロは一瞬そう思ったが、自分を弱者と定義するのはあまりよいことでない気がしてすぐにその思考回路を切断した。

「ちょっと」

 作業を再開しようとまないたにまたむかったところで声をかけられた。ふりむくとすぐそばに、救急箱を手にもったフランがいた。

「きなさい。治療するから」
「え……」

治療、などとおおげさな言葉を使われてパンネロが一瞬ひるむと、いいからきなさい、とフランはしずかでいて威圧的な声で言った。
 ソファに座らされて、指先に絆創膏が巻きつけられる。長いつめのするりときれいにのびた指が、意外にも器用に動き傷口をかくした。これくらいならキッチンで立ったままでもできたのに、とパンネロは思い、わざわざソファにまでつれてきてくれたフランを不思議に思った。

「……ありがとうございます」

 呟くように言うと、フランは救急箱のふたを閉めながらそっけなくどういたしましてと言い、ふと顔を上げてパンネロの顔を見ると瞬きをした。そのあと、ちいさなため息がひとつ。

「こんなことくらいでそんな顔するなんて、だまされやすいにもほどがあるわ」

そんな顔。パンネロは思わず自分のほほにふれる。どんな顔をしていたのだろう。フランがあきれた声をしているからまぬけな面であったことはまちがいなかった。なにも言えないでいると、フランがまた口を開く。

「さっきまで思いきり警戒してくれてたのに」
「そんなこと」

ない、と言おうと思ってでも言いきれなくて、するとフランは肩をすくめた。

「まあ、あなたはもうすこし警戒心を強くしたくらいがちょうどいいんだろうけど。特に私みたいにやさしくない人間の前では」

思いのほか自虐的に響いてしまいフランはすこしまゆを寄せたが、すぐにどうでもいい気になった。そして立ちあがろうと思ったところで、パンネロがでもと呟いたのにそれをさえぎられる。

「でも、フランさんはやさしいと思います」

至極まじめに、パンネロは言った。フランは予想できるはずもない少女の発言についまゆをあげた。しかしパンネロはそれには気づかなかった。

「だって、きらいな人間に、こんなにていねいに絆創膏をはってくれるひとがやさしくないはずないです」

言いきってから、パンネロはうつむき、そして否定するとかばかにするとかのなにかしらあるであろうと思っていたフランの反応を待ってみた。が、あるのは沈黙ばかりである。急に恥ずかしくなったパンネロは、いそいで立ちあがった。

「ごはん、しあげてきます」

逃げるように、キッチンへ移動する。残されたフランは、なんとなくその背中を目線で追った。だって、きらいな人間に。彼女の台詞を反芻し、こめかみをそっとおさえてふうと息をはいた。

「……別に、きらいだなんて言ってないんだけどねえ」

無意識のように呟かれたその言葉はもちろんパンネロまで届くことはなく、ちょうどそのとき帰宅したらしいアーシェが玄関のドアを開けるおおきな音にただかきけされただけであった。




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