gynie series
208 もうすぐ12時 (ジニーシリーズ6)
がさ、とわざとおおきな音を立てるようにしてソファの前のテーブルつまりフランの目の前にコンビニの袋をおいた。ごくろうさま、と悪びれるようすのまったくないフランを見て、アーシェはいつものことだと思いつつやはり気にくわなくて早速とばかりに袋のなかにのびてきた腕に何枚かの紙幣とつり銭をすこし乱暴におしつけた。
「あら。返してくれなくてもいいのに」
「わたしがこれをもらう道理はないわ」
「いじっぱりね。今月ピンチなんでしょう?」
フランは受け取ることを勧めるような口調でいてあっさりとそれを自分のふところにしまった。
「…あなたに心配される道理もない」
「あいかわらずつれないのね。仕送り、ふやしてもらえばいいでしょう?せっかくのお金持ちの実家なのに」
アーシェがすいとフランを見据えた。するとフランはすこし唇をとがらせて肩をすくめる。アーシェがあまりすきでない彼女のしぐさのひとつだった。それは自分をばかにしているようなのだ。彼女が意図していなくても、アーシェにはそのようにしか見えない。
フランは無造作にビールの缶のプルタブを持ち上げた。そのあとテレビのリモコンで音量をすこししぼってからひとくちのどに流し込んだ。アルコールがはいると聴覚が敏感になりすぎるのだと昔聞いてもいないことを教えられた。本当だろうかと思いながらも、アーシェは無意識のうちにこういうときのフランの前では声のトーンを少々さげる。無意識のうちにやっているのだから、彼女はもちろん無自覚だ。
ふと、アーシェは思い出した。
「ねえ」
声をかけると、フランは横目でアーシェを見遣り未開封の缶をアーシェにさしだした。もちろん受け取る気などない。
「もしかして、さっきここに誰か尋ねてこなかった?あなたのことだから出てはいないと思うけど」
「いいえ?」
予想外だった。そう、と呟くとちらりと視線を送られた。
「どうして?」
「いま下のほうで知り合いとあったの。アパートから出てきたから、てっきりここを訪ねてきたんだと思ったんだけど」
フランは肩をすくめた。アーシェは釈然としないなかため息をつく。
「……わたしはもう寝るから。あなたものんだらさっさろ帰ってね」
おやすみのあいさつもそこそこにフランに背を向けると腕をつかまれそのうえひっぱられた。不意打ちだったものだからアーシェはバランスをくずしソファのフランのとなりに倒れるように座ってしまった。
「…なに」
不機嫌ににらみつければ、フランは楽しげに笑った。アーシェは面食らう。この女がこんなふうに楽しそうに笑うなんて珍しすぎる。もう酔っているのだろうか。
「例のあの子とは最近どう?」
耳元でささやかれて、アーシェはそういうことかと思った。フランはパンネロの話をするとき妙に楽しそうに笑う。アーシェはいまさらながら彼女にあの子の話をしたことを後悔した。
「……どうって。別に」
「キスくらいはしたの?」
アーシェは絶句した。なにを言いだすのか、この女は。近づいているフランの肩を押ぐいとしのける。
「あのね。あなたなんだか勘違いしてるみたいだけど、別にあの子とわたしはなんでも……」
言いかけて、アーシェははっとした。そういえばさっきパンネロのようすがおかしかった。妙によそよそしいというかなんというか。そしてこの絶妙なタイミングでふられた彼女の話。…まさか。
「ちょっと。さっき誰もこなっかったって言ったけど」
きっとにらむと、フランはもうすでに一本空にしてしまったらしくこんと軽い音を立てて缶をテーブルの上におき、ばれちゃったと言わんばかりにわざとらしくお手上げのポーズをとった。
「ああ、いま思い出した。そういえばきたわ。だまされやすそうな女の子がひとり」
「会ったの?」
「ええ」
ことさらゆっくりうなずかれてアーシェは頭を抱えたくなった。いつも自分の留守中に訪問者がきても徹底無視なくせになんだって今日に限って出るのか。
「ちょっとからかったら、逃げていっちゃったわ」
「からかった、て、なにしたの」
「別に?ただちょっとアーシェの同居人ですって言っただけ」
「ど……」
アーシェは言葉を失った。フランはそれをながめながら二本目のビールに口をつける。
「なんでそんなうそを…っ」
「だから、からかってみただけよ。だいたいあの子とはなんでもないんでしょう?だったら誤解されても別にいいじゃない」
「それは……、……」
そのままおしだまってしまったアーシェに、フランはまあのめば?なんてビールをさしだした。
241 また恋に脅されている。 (ジニーシリーズ7)
「キスしてあげようか」
一瞬言葉の意味がわからず、ほぼ無意識にとなりを向くと、至近距離にフランの顔があった。気づいたときにはつきとばしていた。その拍子にテーブルの上にあった空の缶がいくつか床に落ちてささやかな音を立てる。
フランは無表情にアーシェを見たあと首をかしげた。さら、と髪が流れた。
「知ってた?あなたって、お酒をのむとすごくものほしそうな目をするの。それはもう、わざとやってるんじゃないかっていうくらい」
フランの目が笑ったようにゆがむ。アーシェは無視するように顔をそらした。
「ねえ」
またフランがアーシェの肩口に顔をよせる。
「バルフレアと別れたんだって?どうして?」
「そんなの、あなたに関係ない」
「本当に?…ひょっとして、私のため?」
「あ……」
ありえない。そう言おうと彼女を見ると、あごをついとつかまれた。しまった、と思って歯を食いしばり目を閉じた。が、予測した接触はなくかわりに左の耳にフランの息がかかった。
「私がバッシュと別れたって言ったから?あなたのためだと思った?だからバルフレアと別れたの?」
「ちが……」
彼女が言葉を紡ぐたびになまぬるい吐息が耳にまとわりついた。彼女のはく息はいつもアーシェにこびりつく。つきとばすことはできるはずなのに腕がしびれたように動かない。
「私があなたのことをすきだと思ったから?」
がり、と自分のなかのどこか大切な部分をひっかかれたような気がした。まるで泣きそうになって、いまはまったく泣いている場合じゃないと瞬時に気づくが、唇がふるえるのを止められない。
「ちがう…そんなわけない」
「そう…残念ね。もしそうなら私はとてもうれしかったわ」
残念だ、とくりかえすその声は裏腹に楽しげで、アーシェはいますぐ意識を手放せればいいと思った。
「…キスしてあげる」
今度のそれは強制で、アーシェが力なくうつむいた顔を下からのぞきこんだフランは、まるでなめるように唇に唇を重ねた。
205 うそ、つき (ジニーシリーズ8)
アーシェが気だるそうにソファから起きあがるのを、フランはキッチンからながめた。
「……なにしてるの」
起きぬけのアーシェはいつにもまして目つきが悪い。そのくせ寝ぼけているものだから妙にとろとろしたしゃべり方がミスマッチである。フランは肩をすくめて手に持ったコーヒーカップを掲げた。
「見てわからない?コーヒーをのんでるの」
「なんでコーヒーをのんでるの」
「私は朝一番にコーヒーをのまないと一日調子が悪いの」
「いま何時」
「六時過ぎ」
「どうしてそんな早くにあなたがわたしの部屋に……」
そこまで言いかけたところでやっと頭が覚醒してきたらしい。アーシェははっとして顔を青くした。
「……なんで、あなたがいるの」
「覚えてないの?」
「覚えてるわよ。きのうの夜あなたが勝手に訪ねてきて酒を買いにいかされて…勝手に泊まったわね」
「まさか。私がそんな無礼なことすると思う?」
「ええ」
「……。そんなことより、あなたの枕はかたすぎるわ。よく眠れなかった」
「……つまり、不覚にもソファで酔いつぶれたわたしをそのままにして、勝手にわたしの寝室にはいって勝手にわたしのベッドで寝たのね?」
「勝手にって、ちゃんと言ったわ。あなたに聞こえていたかは知らないけど」
飄々と言ってのけながらコーヒーをすするフラン。アーシェはこめかみを押さえた。
「とりあえず、それのんだら今度こそ帰ってね」
「あら、あっさりしてるのね。きのうはあんなに引きとめてくれたのに」
「は?」
アーシェが素っ頓狂な声を上げる。フランはわざとらしく首をかしげた。
「覚えてない?おねだりするからキスもしてあげたのに」
さ、とアーシェの顔から血の気が失せた。フランはおもしろそうにそれを観察し、つづける。
「あいかわらずあなたの酒の弱さは前代未聞ね。あの程度で記憶が飛ぶなんて」
肩をすくめてみせると、アーシェは青い顔で必死に記憶を探るように口元に手をやった。どうせ思い出せないんだからやめておけばいいのに、と思いつつフランはまたコーヒーをすすった。
196 ひとりおにごっこ (ジニーシリーズ9)
「ねえ、ヴァンはさ」
レジに、ふたりならんで立っていた。店内はうそくさいほど客がいなくてうそくさいほどひまである。であるから、つい店員同士が世間話をはじめてしまうのはごく自然なことであったのだが、ヴァンはすこしおどろいた。確かに彼自身もこのやることのないどろんとした空気にはすっかりまいっておりそんなところにちょうどいい話し相手がとなりに立っていてそろそろがまんの限界だよなあと思っていた矢先のことだったのと、ヴァンがバイト中の私語をがまんしていた原因自身から話しかけられたからである。
「わ、なんだよいつもはバイト中は私語はつつしめって店長以上にうるさいのに」
「だってお客さんこないし」
「いやまあそうだけど」
釈然としないままヴァンはとなりにたつパンネロを見下ろした。すこし上から見る彼女のまぶたはなんとなく眠そうに見える。
「ヴァンはさ」
「なに?」
「いますきなひととかいる?」
どき。ヴァンは思わず息をのんだ。しかし話をふった本人はまるで興味がないようで彼の動揺にはみじんも気づいていない。
「…なんだよ急に」
「や、なんとなく。いるのかなあと思って」
パンネロはぼおっと前を見たままでヴァンのほうはむかない。ヴァンばかりがパンネロを見ている。ヴァンはすこしまゆをよせ、かわいた唇をちろっとなめてから、いるよっ、とちいさく叫んでやった。やっとそこでパンネロはヴァンを見た。
「え、いるんだ。意外」
「あんだよ、おまえからきいてきたくせに」
「いるとは思ってなかったもん。へえ、いるんだー」
「いちゃわりいかよ」
「わるいなんて言ってないよ」
ふうん、としきりにおもしろそうにパンネロはうなずいた。ヴァンはそれを見て、こく、とのどをならした。
「……おまえは、どうなんだよ」
「あたし?あたしは…」
パンネロは言いかけて、しばらくつづきをを言おうと唇を動かしていたが、結局だた「わかんない」と言っただけだった。
「わかんないってなんだよ」
「すきなひとって、どんな感じなの?」
「え、どんな感じって…、そりゃあ、見てたらへんな感じになるとかずっといっしょにいたいって思ったりとか」
「あは、へんな感じってなに?」
「へんな感じはへんな感じだよ。あと手つなぎたいなって思ったりとか、……映画いっしょにいきたいな、とか」
ヴァンは、ちらりとパンネロを見た。彼女は、ふうんと言ってそれっきりだまった。
「……おまえ、そんなふうに思うやついるの?」
ちいさくたずねると、やはりパンネロは、わかんない、と言うだけだった。
わかんないってなんだよ、とヴァンは思った。わかんないって、それって、結局は……。
「あのさ」
「ん、なに」
パンネロがヴァンを見る。ヴァンのほうは自分でも気づかぬうちに彼女に呼びかけていたのだからおどろいて瞬きをした。が、すぐにたちなおって財布がはいったポケットに手をつっこむ。
「あの……」
「あ、店長休憩室から出てきた。しゃべってたら怒られるよ」
じゃああたしこれ棚に返してくるから、と、パンネロはレジの裏のほうにつみあげられていた返却済みのDVDのたばをかかえて商品のならぶ棚のあいだへ消えていく。ヴァンは、ジーンズのポケットのなかで財布をにぎりながら呆然とそれを見送った。
「……」
とりのこされた彼は財布のなかから映画のチケット二枚をとりだし、それを見下ろしてため息をついた。
292 それはきっと、恋です (ジニーシリーズ9.5)
バイト先の更衣室。パンネロは自分の手帳をひらいてぎくりとした。あしたは金曜日。またバイトがはいっている。しかも――。
「あ、帰るのか?おれおくってくよ」
裏口からでたところに、自転車にまたがったヴァンが待っていた。パンネロは瞬きをしてから、あの、と言った。
「なに?」
「あしたさ、シフト変わってくれない?」
「え、いいけど。なんで?」
「……ちょっと、用事が」
「ふうん、……て、ちょっと待って、金曜って言ったらあの恐い先輩がいる日じゃん」
ぎく、とパンネロは肩を揺らした。ヴァンはそれには気づかず歩きはじめる。パンネロもつづいた。
「やだなあ、おれあのひとにきらわれてっからなあ。ほんとこえーんだよ。パンネロは仲いいよなあのひとと」
「そ、そうかな」
「うん。おれ信じらんねえもんあのひとと談笑とか」
「そんなヴァンがいうほど恐いひとじゃないよ。ちょっときびしいけどほんとはすっごくやさしいし」
「えーそれはパンネロだからだろ?今度おれへの態度見てみ?まじやべえよあのひと」
あはは、とヴァンは笑った。パンネロはそれに気のない笑いを返した。
ヴァンの言う恐い先輩こそが、パンネロがあしたのバイトをとまどう原因であった。先日わすれものをとどけに彼女のアパートへいった。そこで彼女の同居人だという女性と出会った。きれいなひとだった。自分と全然ちがう。
(…て、なに自分とくらべてんの)
パンネロは首をふる。最近の自分はおかしい。しかも、なんとなくその原因はわかっているのだ。しかしそれは、そんなことあるはずがないようなありえないことなのである。
(ずっといっしょにいたいって思ったり、手つなぎたいって思ったり)
ヴァンの言葉を反芻する。おまえ、そんなふうに思うやついるの?その問いにわかんないと答えておいて、本当はわからないわけではなかった。
(……気まずいなあ)
もうパンネロのなかには、なんで気まずい気になるのか、なんていう問いは浮かんでこなかった。
193 目覚めた夜に (ジニーシリーズ10)
「やめた?」
思わずおおきな声が出てしまい、アーシェは口をおさえた。しかしもう遅くまわりの客からのささやかな視線と店長のさすような視線を感じた。
「……やめたって、パンネロが?どうして?」
「さあ、よくわかんねえ」
アーシェはつぎは極力声をおさえた。しかしヴァンのほうは先程と同じ音量である。
「なんか、気まずいとか気まずくないとかなんとか。誰かとけんかでもしたんすかねー」
ヴァンはあーあとため息をつく。気まずい。アーシェはどきりとした。気まずいって、まさか先日の例の事件が原因だろうか。フランに妙なうそをふきこまれた、例の。アーシェは頭をかかえたくなり、いつかフランを本気で殴ってやりたいと思った。
(……あれ)
ふとアーシェは、妙なことに気づく。そもそも、なぜそれでパンネロが気まずくなるのだろうか。自分とへんな女がいっしょに住んでいるという誤解をさせられて、それでどうして彼女が気まずくなる必要がある。まったくもってないではないか。しかしアーシェは、彼女がここのアルバイトをやめた原因はそれ以外にないと確信した。理由もなく。
「……」
そしてそう思うとなぜか胸のおくで妙な感覚がうずくので、アーシェはなんなんだと真剣に首をかしげた。
「あ、そうだ」
ヴァンが言った。つい思考にのめりこんでいて彼の存在を忘れていたアーシェはぎくりとした。それから、ヴァンがなにかをさしだしているのに気づいた。
「これ、いきません?」
それは、映画のチケットだった。二枚の。
「……なに」
「あ、や、べつに深い意味はないって。いやほんとに。こころから」
だいたいおれ恐い女は好みじゃ、ヴァンはそう言いかけていそいでせきばらいをした。
「あの、ほんとはパンネロさそうはずだったんすけど。やめちゃったし」
「パンネロを?」
「うん。あいつが観たいって言ってたやつだから」
「パンネロが……」
あーもうちょっと早くさそえばよかったんすよでもタイミングがつかめなくてってか連絡先きいときゃよかったんじゃんおればかじゃね?ヴァンがぶつぶつひとりでしゃべっているのを尻目に、アーシェはひょいと映画のチケットを手にとった。
「あ」
「せっかくだからもらっておくわ。二枚とも」
「え、あれ」
「じゃあ、わたしはもうあがりだから」
それじゃ、とアーシェはおくのほうへ消える。ヴァンはやはりそれを呆然と見送り、
「……あれ?」
そのあと空になった自分の手を見下ろした。
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