gynie series





119 ジニー・ジニー・ジニー (ジニーシリーズ1)


 もしかしたらわたしはとても素直じゃない人間なのではないかと気づいたのはごく最近だった。そのような類の話をフランにしたところ、珍しく本気で驚いたらしい表情で彼女はいまさら気づいたの?と言った。
 待ち合わせはあまりすきではない。早くつきすぎれば待たなくてはいけないし遅いと相手を待たせてしまう。まったく同時に約束相手と約束の場所につくなんて不可能なのだ。しかしわたしのなかではあの子との待ち合わせだけは格別らしかった。あの子との待ち合わせはわたしを不快にはしない。

「私がいるのに浮気者ね」

 フランがそう言った意味はわかりかね(というよりわかりたくなく)、ただわたしは彼女の冗談はあまりすきではないと思った。さようなら、と言って彼女に背を向けると、ふふ、という楽しげな声が風に乗って流れてきた気がした。
 向かう先はあの子との待ち合わせ場所である。そこにいくまではとても待ち遠しく足が進み、しかしいざ近づいてくると妙な緊張が指先に流れた。そしていつだってわたしより先にきているあの子が視界にはいるともうだめで、わたしはうれしいはずなのにそれをどう表現すればいいのかわからなくなり結局変な仏頂面であの子のそばまで歩いていくのだ。対照的にあの子はわたしの姿を見つけたとたん花のように笑って手を振り、すべてが素直なあの子は、わたしがどれだけがんばってもわたしの気持ちをおりまげてしまう。わたしはあの子に笑いかけたいのに、素直じゃないわたしがそれを許さないのだ。



188 割と常にそれらはまとわりつくものだ (ジニーシリーズ2)


「ビール」

 唐突に背後からそう言われて、アーシェは反射的にテレビに投げかけていた視線を90度ほど回転させた。

「なに?」
「ビールがないんだけど」

 冷蔵庫を覗きこんでいた顔をあげながら、フランがしらけたようにまゆをあげた。アーシェはため息をついてテレビに向きなおる。

「だから?」
「私がくるときはちゃんと買っておけっていつも」
「突然きておいて勝手なこと言わないで」

アーシェはテレビタレントのわざとらしい笑い声に嫌気がさしてテレビの電源を消した。

「わたしはもう寝るから。出ていってくれる?」
「ビールをのんだら帰るわ」
「ないものをどうやってのむの」
「あたたが買ってくればいいわ」

至極当然というふうに言われてめまいがした。のんだところで本当は帰るつもりなどないくせに。ふう、とため息をつくとフランが一枚の紙幣をアーシェの目の前にさしだす。

「おつりはとっておけばいいわ」
「……」

アーシェはもう一度ため息をつき、はしと紙切れを受け取った。



219 緩やかに緩やかに、それは覚醒する (ジニーシリーズ3)


 ピンポン、とインタフォンが鳴った。フランはそれを無視してテレビを見つめつづける。もう一度鳴った。

「……」

いつもの彼女なら何度インタフォンが鳴っても確実に無視していたのだろうが、その日はなんとなく出る気になった。くだらないテレビの内容に飽き飽きしたのかもしれない。気だるげに立ち上がり玄関に向かう。
 がちゃ、と無言でドアを開けたところ、立っていたのは高校生ほどの少女だった。

「……」

出てきたのが予想外の人間だったらしく、少女はぽかんとフランを見上げていた。フランは無言のまま見返してみる。するとはっとしたらしい彼女は表札を確認するかのように視線を泳がせた。

「間違ってないわ。ここはアーシェの部屋」
「えっ、あ、はい」

反射的に少女は肩をびくりと揺らした。フランはなんの感慨もなくそれを見下す。

「アーシェはいま出てるけど。彼女になにか?」
「あ、あの、せんぱ…アーシェさんの忘れ物を届けに」
「忘れ物?」
「はい、えっと、あたしアーシェさんと同じところでバイトしてて…」

ああ、とフランは声に出さず合点した。例の子か。フランは一瞬思案し、すぐににっこりと笑ってみせる。

「あなたのことはあの子からよく聞くわ」
「え…」
「かわいい子がバイト先にいるって」

少女は面食らったようにほほを染めた。ちなみにかわいい子がいるというのはアーシェがだまされやすそうな子がいると言ったのをフランなりに意訳したものである。記憶のなかのアーシェに同意しつつ、フランはもう一度少女を見下ろし、彼女が自分を若干いぶかしげに見ているのに気づく。

「ああ、私はあの子の…そうね、大学での知り合い」
「あ……はあ」
「まあ、いまはわけあっていっしょに暮らしてるんだけど」
「いっしょに……」

驚いたように少女が目を見開くのを見て、フランは目を細める。

「――アーシェもすぐ帰ってくるだろうから、なかにはいって待てれば?」
「えっ、いや、…ええと、もう帰らなきゃいけないので…それじゃ」
「あ……」

言うが早いや、少女はかけていってしまった。

「……忘れ物…」

フランは目を瞬かせたのち、ふ、とため息とも笑い声ともつかぬ息を吐いて重いドアを閉めた。



317 チョコレートの死(チョコレート=甘くほろ苦い菓子、死=これでおしまい) (ジニーシリーズ4)


「あれ……」

 バイト先の更衣室で、パンネロは携帯電話を拾った。それはもちろん自分のものではなくて、しかしよく見たことのあるものだった。

(せんぱいのだ)

パンネロは思い当たり、意味もなく部屋のドアを見た。アーシェはだいぶ前に仕事を終えて帰っていた。パンネロはすこしあせった。

(携帯なかったら、せんぱい困ってるだろうな)

それとも気づいてないだろうか。パンネロはストラップがひとつもついていない携帯電話をにぎりしめて思案し、結局届けてあげようと決心した。

 彼女が住んでいるところはさりげなく聞きだしたことがあった。ふたりのバイト先からほど近いアパート。部屋番号は暗記してある。
 こんな遅くに迷惑だろうか、と思いつつパンネロは彼女の携帯電話をいれた自分のかばんを抱きしめた。なんとなく歩調がゆっくりになっていたが、彼女のアパートにはすぐにたどりついた。パンネロは思ったより新しい外観を見上げ、突然気後れした。もしかしたら迷惑がられるかもしれない。そう思うと足がすくみかける。しかしせっかくきたのとアーシェが困っているかもしれないということを思い出し、彼女はアパートのコンクリートの階段に足をかけた。
 201号室の前で、パンネロは表札を確認したあと身だしなみを整え、ふうと息を吐いてインタフォンに手をのばした。どきどきと妙な緊張が胸にたまる。インタフォンを押してから相手が出てくるまでの間のむずがゆいような感覚はあまりすきじゃない。早く出てきてほしいと思った。…しかし、誰も出てこない。

「……?」

パンネロは首をかしげた。部屋の窓からは光がもれているから恐らく人はいる。もう一度押してみた。するとややあってドアの向こうから足音がした。パンネロは一瞬ほっとして、しかしまた緊張を思い出した。

「……」

 出てきたのは見知らぬ女性だった。パンネロは予想外のできごとにまぬけにもぽかんと口を開けてしまった。無表情の、美しいとしか言いようのない銀髪の女性。部屋を間違ったのだろうか。そう思った瞬間。

「間違ってないわ。ここはアーシェの部屋」
「えっ、あ、はい」

まるで思考を読まれた気になってパンネロは肩をはねさせた。あいかわらず目の前の女性は無表情だった。
 アーシェは不在だった。そして目の前の人はアーシェの大学での知り合いで、しかも彼女の同居人らしい。それを聞いて、パンネロはなぜか胸がちくりと痛んだ。原因はよくわからなかった。

「なかにはいって待ってれば?」

そう言われて、無意識に逃げてきてしまった。変なやつだと思われたかもしれない。しかしそんなことはまったく気にならなかった。
 パンネロは階段をおりきったところで妙に早く鳴る心臓をおさえて、はっとした。

「……携帯電話…」

しかし、もう階段をのぼる気にはならなかった。



005 ちょっと待ってよ (ジニーシリーズ5)


 アーシェが最寄のコンビニから帰ってきたところで、自分の暮らすアパートから誰かが出てくるのと出くわした。誰だと思った瞬間に、それが見慣れた人物であることに気づく。

「パンネロ?」

うつむいていた顔がぱっと上を向く。思ったとおりそれはバイト先の後輩であり、そして彼女がこんな時間にこんなところにいるのはとてもおかしいと思った。パンネロは本気で驚いた瞳を揺らし、所在なさげにアーシェの鎖骨のあたりを見ていた。

「どうしたの?こんなところで」

たずねると、どういうわけか顔をそらされた。いぶかしく思っていると、彼女は思い出したようにかばんをあさりだす。

「あの、更衣室にこれがあって。せんぱいが困ってるかと思って」

なぜか言い訳のような言葉を並べながらさしだされたのは自分の携帯電話。アーシェは目を丸くした。

「……気づかなかったわ。ありがとう」

受け取ると、いえ、とパンネロは縮こまり、それじゃ、とアーシェのわきを通りすぎようとした。アーシェは思わずその腕をつかむ。するとおおげさなほど驚いた瞳がふりかえった。アーシェは反射的に手をはなす。

「…いや、ええと」

悪いことをしてしまったようで、思わず言いよどみ、まったく自分らしくないと思った。すくなくともその瞳に拒否の色が皆無だったのはすくいである。

「そうだ。届けてくれたお礼もしたいし、ちょっとあがって…」

名案を思いついた、と思えたのは一瞬だった。いまあの部屋にはフランがいる。彼女にこの子を見せるのはなんとなくいやで、この子に彼女を見せるのはもっといやだった。

「……」

はたと口を閉じてしまった自分をパンネロがどう思ったのかわからないが、なぜか彼女は力なく眉を下げていた。それがとてもさみしげに見えて、しかしそれは憶測の域にわだかまる。アーシェは、自らの手が無意識に彼女の二の腕にのびそうになるのを感じたが、いっそう深くうつむいたパンネロを見てまるで逃げられた気がして手を止めた。

「あの、あたしもう帰らなくちゃいけないから」
「あ…そう」

おやすみなさい、とパンネロは頭をさげて、暗く細い道を心細そうな背中でかけていった。アーシェはそれを、呆然と見つめた。





6-10