「それで、あってあげてほしいんです……けど」
と、彼女はうかがうようにわたしを見たのだった。
another story
店内は喧騒にあふれ熱気がたちこめ、つまり簡単に言うと気分が悪くなるくらい最悪な環境だった。しかし実際どうして気分が悪いのかと言えば、酒がはいっているからである。
「やーほんとね、なんか、意味わかんないんですよ」
そしてとなりの人物も、そんな店内の空気にすっかりとけこめるくらいにはよっぱらっている。
「まだすきなんだって。すきなのに、わかれるんだって。よくわかんないでしょ」
せんぱいもそう思うでしょお?ひたすらジョッキのなかをのぞきこみながら大学時代の後輩がうめく。わたしは返事をしないで自分のジョッキに口をつける。このよっぱらいはしゃべりたいだけで話をきいてほしいわけではないのだ。ということで放置しておく。
「すきならさあ、つきあってればいいじゃん。なんでそれで、わかれるってことになるかなあ」
先日、パンネロは男にふられたらしい。それをあまりにもあっさりとしたようすで報告されてすこしおどろいたが、本当は彼女はその男のことがとてもすきだったのだ。彼女自身も気づいておらずむしろ彼女は彼のことをそんなにすきだった気はないのだが、いまのように酒がはいってしまえば本音がでてくる。それでもこの子はそれを認めないんだろうけど。この子の気持ちは、この子自身よりわたしのほうがよくわかっているのだ。
「なんかね、ほかにすきなひとがいたんだって。あたしのこともすきだけどそのひとのこともすきだったんだって」
意味わかんない。それからも彼女はぐちぐちとなにかを言っていたけど、わたしはやはりききながし、パンネロの気がはやくすまないだろうかということばかり考えていた。
それが、一週間前の話。
「すみません、いそがしかったですよね」
突然よびだされたかと思ったら、想像どおりけろっとした顔のパンネロが喫茶店でわたしをまっていた。
「べつに。いま失業中だし」
「え、仕事やめたんですか」
「きのうね。はげの上司がセクハラしてきたからなぐってそのまま辞表だしてきた」
「……せんぱいって、人生なめてると思います」
「で、なんの用?」
「あ……えっと」
パンネロは言いにくそうに口元をゆがめて、それをごまかすためにかコーヒーカップに口をつけた。
「あの、こないだ、わかれたっていったでしょ、つきあってたひとと。それで、そのひと、アーシェせんぱいにあいたいって」
「ふうん……、は?」
あんまりさらっというものだから、ついながしそうになって、しかしながらわたしはすぐに彼女が異常なことを言ったことに気づいてしまった。
「なんかね、ほら、あたしのほかにすきなひとがいてそれで浮気されたってこないだ言ったけど、浮気じゃなくてただすきだっただけなんだって」
パンネロは言いわけでもしているように早口にことばをならべた。
「で、そのすきなひとっていうのが、せんぱいだったんですって」
「……」
言いたいことを言いきれたらしいパンネロは実に満足げに息をついているが、わたしはとにかく信じられなかった。まず、ふった女に仲介役をたのむその男の無神経さアホ加減が。そのつぎに、平気な顔してそれをわたしに話している目のまえの後輩が。
わたしは瞬時に考えた。彼女はきっと傷ついているのだ。こんなふうに平然としておいてその実こころのなかにはすさんだ風がふいているのだ。……いまのわたしとおなじくらい。
「それで、あってあげてほしいんです……けど」
「わたしはまったくあいたくないんだけど」
遠慮がちに再度口をひらいた彼女に、わたしはぴしゃりと言ってみせた。するとパンネロはやっぱりというふうに笑った。
「あの、気つかわなくてだいじょうぶですよ。あたしもうあのひとのことわすれたし」
「ほんとにあいたくないだけよ」
「せんぱいはやさしいから。ね、おねがいします。あうだけ。それだけでいいから。いいひとですよすごく」
いいひとがふった女に自分のあたらしい恋の手伝いをさせるか。わたしはそう言おうとしてやめた。理由はなんとなく。
「……だいたい、そいつはわたしとあったことがないでしょ」
「え、やだ、ちょっとまえに紹介したことあったじゃないですか」
「そうだったかしら」
「そうですよ、せんぱいしっかりしてくださいよお」
結局あうことになった。
想像どおりその男はにぶそうで頭が悪そうでなんだかはっきりしないやつだった。わたしは現在職探し中のプーですという色気もくそもない自己紹介をしてあげたが、そいつはこんにちはとひきつった声で言っただけだった。
それからそいつは必死でしゃべっていたけど、わたしはちがうことばかり考えていて話なんて半分だってきいていなかった。わたしは覚えていないけど、パンネロはわたしとこの男があった日のことを覚えている。その日からずっとこの男が自分以外のことを考えていたのだということを知っている。それでパンネロはどれくらい傷ついたんだろうか。そのわたしにたいしてふつうの態度をとるのはどれくらいつかれただろうか。ああかわいそうなパンネロ。
パンネロはこの男のことがすきだった。パンネロはこの男とつきあっていた。この男はパンネロにどんなことをしたことがあるのだろうか。パンネロのどこにさわったことがあるのだろうか。いったいどんなふうにパンネロはこの男を愛していたのだろうか。
パンネロのことばかり考えていた。
「……肩がこってる」
わたしはコンビニで買ってきた弁当をテーブルのうえにおいて、左手で右の肩をおさえた。指先でおすと痛かった。こんなとき、もんでくれるひとがいればいいのに。そう考えてまっさきに浮かんできたのはやはりパンネロの顔だった。
「……」
わたしはげんなりとして、無言でコンビニの袋に手をのばす。コンビニのこれは味が濃いくせに味気ない。こんなとき、料理をつくってくれるひとがいればいいのに。そう考えてまっさきに以下略。
携帯電話がなった。
「もしもし」
「あ、せんぱい」
パンネロだった。
「急にすみません。えっと、今日あったんですよね、あのひとと」
「ええ」
「どうでした?」
「つきあうことになったわ」
「えっ」
「うそだけど」
「……せんぱいっ」
頭が悪そうだったわ。というと、あたしもせんぱいの好みではないだろうなって思ってました、とパンネロが言った。
わたしはすこし思い出した。あの男にあってほしいとたのまれた日のわかれぎわ、パンネロが言ったのだった。あたし、もうつぎのひとがいるから、大丈夫なんですよ。
なんだそれ、と、思っていたのだ、本当は。
「ねえ」
「はい?」
電話のむこうにパンネロの声がする。彼女の声は、年よりすこしおさない。
「……あなたはいま、幸せなのね」
返事をきくまえに電話をきった。
パンネロは、もうちがう人物を見ているのだ。だからもうあの男のことはわすれたのだ。だから、本当にもうそれほど傷ついていないのだ。そんなことはわかっていたけど、パンネロが最大限に傷ついていたんだということにしておかないとわりにあわないのだ。
だって、これじゃあわたしばかりが傷ついている。なんだそれ、と思うのである。
冷蔵庫のなかにあったビールが全部なくなっても、まだ足りない。こんなとき、買ってきてくれるひとがいればいいのに。それがパンネロだったら、もっといいのに。
「ラブイズオーバー、かなしいけれどお、おわりにしよおー、……」
おわるもなにも、そもそもはじまってもいなかったんだけど。と、ぐわんぐわんと頭のなかに自分の声が響くのをききながら考える。
わたしは結局、よっぱらったついでに朝まで泣きあかしたのだった。
end
プーでコンビニ弁当食って欧陽菲菲うたってる殿下なんてだれが喜ぶのかと思いつつ
07/06/10 アナザーストーリー