after that





 台所のほうへいったら案の定先生はひとりぶんしか用意していなかった。

「帰るんですか?」
「さっきつくったら帰るって言ったわ」
「あたし先生といっしょに食べたいです」
「……ひとりぶんしかないもの」
「じゃあもうひとりぶんつくって、お願いします」

先生の服のはしをつまんですこし引いた。自分のうまい見せ方なんてよくわからないけど、いまのしぐさはきっと先生には有効だと思った。だって先生はいまあたしに失恋した気でいるんだもの。あたしなんかに。それをこんなふうに簡単に利用できる自分が信じられなかった。あたしは適当でうそつきできわめつけにずるがしこい人間だったみたい。
 ぬすみみた先生は無表情でした。

「……、食べたら帰るわ」

低い声。怒ったかなあ。あたしはそう思って、でも気にしないことにして台所のテーブルにつく。いすのうえにひざをかかえてすわった。先生のうしろ姿は板書しているあのときのと寸分も変わっていないように見えた。見えただけで、実際はけっこう変わってるんだろうなあと思ったけどいまあたしの目にうつるこの背中はあのころのままのなつかしいものだった。そういうことにしておこう。
 先生は、できたてのほうの皿をあたしのほうによこして、あたしのまえにすわった。

「服、着たら?風邪引くわ」

湯気のあがるそれをのぞきこんでいると、先生が言った。あたしは下着だけつけてあとはシーツを体にまきつけるというたいへんラフなかっこうをしていた。先生は多分ほんとに心配してくれたんだろうけど、あたしは冗談でかえしてあげる。

「ぬがせたのは先生です」

すると先生はさっきから全然うごかさなかった顔の筋肉をわかりやすくふるえさせた。あらら、とあたしは思った。もしかしたらいまのはけっこうきついひとことだったのだろうか。

「それは、その……悪かったわ。本当に」

先生はひたいに右手をあててうつむいてしまった。あらら、とあたしはまた思った。

「え、あの、いや、全然大丈夫です。えーとその、たいへんよ、よかったですし」

言ってから、多分そんな問題じゃないんだろうなあと気づいた。
 へんに気まずい食卓だった。目玉焼きだけじゃ質素すぎるかなあと思ってトーストでもやこうかと思いついても、それを提案できる空気じゃなかったのでふたりして目玉焼きだけ食べた。おたがいあんまりおなかがすいていなかったんだということにしておくことにしよう。
 こんなはずじゃなかったんだけど、とあたしは考える。

「あの、先生」

先生がだまりこんでからあたしもずっと口をひらかなかったからひさびさの会話だった。先生はうつむいたままあたしのほうは見ない。後悔してるんだろうか、きのうの夜のこと。やだなあ、と思う。あたしはこんなにしあわせなんですよ、先生。

「あたしって、けっこう適当な人間なんです」
「……」

われながら唐突なきりだしだった。先生はあたしの意図がわからないみたいでだまったまま。

「たとえば、高校時代あいてが教師だったっていうだけでもりあがってつきあえちゃったり、つきあってたひとにほかにすきなひとができてもそっかあですませちゃったり」

顔はあげないで視線だけで先生があたしを見た。

「いっかい寝たくらいで、そのひとのことすきになっちゃったり」

 先生はかたまった。あたしを見つめたまま。先生の目はなんだか不思議な色にそまっていた。あえて言うなら、ひよこがうまれると思っていた卵からワニの赤ちゃんがでてきたときみたいな。われながらおもしろみにかけるたとえだけど。どうしたんだろう、とあたしは内心首をかしげてそれからはっとする。もしかしたらあたしはとんでもない失敗をしたかもしれない。
 寝たとか寝ないとか、やったとかやらないとかきっと先生のなかのあたしは言わない。先生のしっているあたしは高校生のあたしだ。そして、先生がすきなあたしも、高校生のあたしなのだ。

「……」

 先生はなにも言わない。あたしもなにも言えない。おかしい。こんなはずじゃなかったのに。
 ああごめんなさい先生。あたしはもう先生のしってる先生のすきなあたしじゃないんです。あたしはもうあのころのあたしとはちがうんです。だから、こんなふうなこと平気でできるんです。先生のよわみにつけこむようなこと。先生はあたしをすき。あたしは先生をすきになりそう。ちょっと立場がうえじゃない、なんて、優越感にひたったりしてるんです。ああごめんなさい、ごめんなさい先生。あやまるから、いまのあたしに失望しないで。

「……ちょっと待って」

 びくっと肩がゆれた。声がした。あたしの声じゃないんだから、当然先生の声だった。先生のほうをうかがったら、先生はさっきみたいに右手をひたいにあてていた。

「あー…。あなた、自分がなにを言ってるかわかってる?それはつまり……、きっとかんちがいかなにかじゃないかしら」

先生はにがにがしげに呟いた。それからふと顔をあげてまたなにかを言いかけて、するとどうしてかびっくりしたように目をひらいて、そして苦笑した。あたしはいやな予感がする。あたしはきっといま、想定外の顔をしているのだ。自覚したとたん、頭がまっしろになった。

「……ごめんなさい、そうじゃないわね」

複雑そうにほほえんだ先生。それはそれは、見とれちゃうくらいきれいだった。あーあ、と、まだ冷静をたもてている思考のはしっこで考える。こんなはずじゃなかったのに。

「うれしすぎて、気のきいたことばがでてこないのね、私」

だからそんな顔しないで。先生はすっと手をのばしてあたしの髪にふれた。あたしは顔があつくなる。それはもう、気絶したいくらい。
 こんなはずじゃなかったのに。先生はあたしがすきで、それで、あたしはきのう先生とあんなことになって、先生はそれを後悔していて、でも本当はそんな必要なくて、あたしはつきあってるひとがいるなんてうそなんですよとかっこよく白状して、それから、びっくりした先生はきっとかわいい顔をしてくれて、それでそれで……。

「……あたし、つきあってるひとなんていません」

 だから先生。こんなはずじゃなかったの。こんな泣きそうな声をだすんじゃなくて、先生にあなたは本当にいまもむかしもかわいいわなんて言われるんじゃなくて、それが心底うれしくて泣きだしちゃうんじゃなくて、本当はあたしはもっとかっこよくて先生はもっとかわいいはずだったの。
 うそじゃないの、ほんとよ先生。  




end






蛇足以外のなにものでもないですが書いちゃったんだからしょうがないこんなときこそMOTTAINAI精神の本領発揮ですよあはは

07/05/31 それから