※一瞬女性同士のそれっぽい描写あり(12禁くらい)
「私はあのひとのことがすきだったのよ」
あたしの記憶のなかに唯一いまだに残っている彼女のことばは、確かそれだったはずだ。
sometimes fibbing does
the trick
ざわ、とわき腹に違和感を覚えた。あたしは寝ぼけたまま目をあけて、でもそこはまっくらでなにも見えない。またなにかが肌をはった。ゆびだ、とあたしはいまだ眠りからさめきらない頭でかんがえる。
「ん…、なに……」
微妙にろれつのまわっていない声に反応してか、ゆびさきがとまった。あたしはそこですこし正気にもどる。まっくらなところでなにものかにさわられているなんてふつうじゃない。
「な、なに……だれ?」
「おきたの?」
きこえてきた声は眠りにおちるまえまで話していた人物のものだった。
「ふ、フラン先生?」
「私はもう先生じゃないって言ったわ」
「なにしてるんですか」
「さわってるの」
「さ、さわってるって……、ここどこですか?」
「あなたの部屋よ」
言われて、確かに体をつつむシーツはなれた感触だと思った。
数年ぶりの再会だった。といっても別段仲がよかったわけでもないからあたしはおひさしぶりですねと言ってそのままわかれるつもりでいた。しかし意外にも、フラン先生はあたしをお茶にさそった。
「本当にひさしぶりねもう社会人?」
「いえまだ大学4年生です」
とりとめのない会話がつづく。高校にいた三年間すべてをあわせたものより、今日話したぶんのほうがおおいかもしれない。それだけあたしとこの先生の関係は希薄だった。それでもあたしがこの先生のことを鮮明に覚えているのは、卒業式の日に彼女に言われた強烈なことばが脳裏に焼きついているからだった。
あたしは当時、ある先生とつきあっていた。その先生は女子生徒から人気があるひとだったけど、どうしてかあたしとつきあっていた。確か告白したのはあたしだ。そしてつきあいはじめたころ、その先生とフラン先生が結婚間近だといううわさが流れた。あたしとその先生の関係をしらない友達が楽しげに教えてくれたのを覚えている。でもあたしはその先生とフラン先生が仲よくしているところを見たことはないし実際それはデマだった。
あたしたちは長いあいだつづいた。先生はとてもやさしかったしあたしも先生の困るようなことはしなかった。そして卒業式。フラン先生があたしに言った。私はあのひとのことがすきだったのよ。
「あのひととは、まだつづいてるの?」
当時を思い出していたあたしに、心を読んだかのような質問。あたしは持っていたティカップをとりおとしそうになってなんとかまぬがれる。
「あ…、いえ」
「あら。別れちゃったの?」
実を言うと、それはあたしの高校卒業直後のことだった。結局は、あたしもあの先生も、生徒と先生という関係が刺激的だっただけらしかった。あたしは思い出してすこし落ちこむ。あたしってそんな適当な人間だったんだなあ。
それでもうあのひとの話はおわった。フラン先生にあのひとと別れたことを告げるのはすこし気まずいと思ったけど、先生はもうそんなことは興味がないようだった。それもそうかと思った。もう何年もまえの話だ。
「それじゃあ、いまつきあってるひとは?」
「え?」
「つきあってるひと。いないの?」
「あ……、いや、その」
言いよどんでから、います、とつい思わず言って、すぐに後悔した。なにをって、うそをついたこと。つきあってるひとなんていない。先日ふられたばかりなのだ。原因はあっちの浮気。浮気が本気になったとかで。あまり思い出したくない事柄だった。だからといって、とっさにうそをついた自分が信じられない。適当なうえにうそつき。あたしは自分がどんな人間なのかすこしわからなくなった。もうこの話題はいやだったから、あたしは話を変えるべく口をひらく。
「先生は、まだ先生をしてらっしゃるんですか?」
「いいえ?」
「え?」
意外な回答だった。
「おやめになったんですか?」
「ええ」
「どうして」
「結婚したのよ私」
さきほどより、もっと意外な回答だった。
「あたしの家に、なんで先生が……」
「あなた、酔いつぶれっちゃったの。家はすぐそこだって言うから私がここまで引っぱってきたんだけど」
覚えてない?まっくらななか、必要以上に耳に唇を近づけて先生がささやく。くすぐったい。そういえば、あのあとのみにいったんだっけ。あたしはぼんやりと思い出して、まさかフラン先生とのみにいくなんてことがあるなんてなあ、とのんきに考えたあと、やっとはっとした。
「は、はこんでくださったんですか?すみません」
「別に。あなたはかるかったし」
先生は言って、またあたしのわき腹のあたりをなでた。すっかり覚醒した感覚のなかで、それはすこし刺激的だった。う、と息をつまらせて、それからあたしは先生のしたからぬけだそうとした。でも先生はそれをやんわりとさまたげる。
「あ、あの、なにしてるんですか?」
「さっき言ったわ。さわってるの」
「ですから、なんでさわってるのかって言ってるんです」
先生は手をとめた。そしてだまった。まっくらななかの沈黙。まるで自分ひとりになった気がして、でも自分におおいかぶさっている先生のぬくもりがそれを否定する。しばらくしてすぐに、フラン先生は口をひらいた。
「そうね、白状するわ。私はあなたのことがすきだったのよ」
意味が理解できなかった。一瞬。その一瞬の間に、かつての先生のことばが脳内にフラッシュバックする。私はあのひとのことがすきだったのよ。あのひとのことが。あたしのことが?
「ちょ、ちょっと待って、先生は、先生のことが好きだったんですよ?」
混乱のあまりわけのわからないことを口走っている気がする。しかし先生は気にとめるようすもない。
「あれはうそよ。あなたはあのひとのことがとてもすきだったから、そう言えばあなたは私のことをわすれないと思ったの」
淡々とした口調。あたしはなにも言えない。
「私はね、あなたのことがすきだったの。それから、自分でも気づかなかったけど、いまでもすきみたい。それがいまこんなことをしてる理由」
教卓に立っていたあのころの先生の教科書を読む声と変わらない抑揚のないそれ。それはあたしにスーツを着た先生のうしろ姿チョークが黒板をたたく音先生が教科書をたたむのと同時に鳴るチャイムその他もろもろを思いおこさせた。それから、先生とどんな話をしたことがあったかなあと思い出そうとして、結局卒業式の日の例の台詞しか思い出せなかった。
「……う」
くぐもった声が出る。先生の指がそろそろとうえのほうへ移動してくる。やめてください。そう言おうとしてでも唇がうごかなかった。なんだかまるで先生にさわってほしいみたい。いつの間にか裸になっていた。先生も裸だった。
まっくらなのがすこしいやだった。先生の顔が見えない。目のまえにいるのは先生だけど、もしかしたら先生じゃないかもしれないなんていう妄想が浮かぶ。その瞬間。
「パンネロ」
はじめて先生があたしの名前を呼んだ。このタイミングは反則だなあとあたしは思って、それからいっぱいあたしも先生の名前を呟いた。
朝になっても、カーテンを引かないままだから部屋のなかはうすぐらかった。先生があたしに背をむけてベッドに腰かけているのが見えた。
「せんせい」
先生は無反応だった。しばらくしてから、先生はおおきなため息をついた。
「結婚したって言うのはうそ」
「え?」
「あなたが、つきあってるひとがいるって言うから。……ばかみたいでしょう?」
でももう教師をしていないのは本当。先生は言って、床のうえにちらばったふたりぶんの服のなかから自分のものをさがしはじめた。あたしはというと、おどろいていた。先生が結婚したのだと言っていたことをすっかりわすれていた自分に。それから、のんきにも幸せにひたっていた自分に。
「卵はある?」
「え、あ、はい。冷蔵庫のなかに買いおきしてあると思います」
「じゃあ、目玉焼きを作ってあげる。私ができる唯一の料理よ。そしたら帰るから」
先生は冗談めかした口調で言って、下着だけのかっこうで台所のほうへいったと思ったらどうしてかもどってきて服を全部着てからまた台所のほうへ消えた。
「……」
先生、目玉焼きはしょうゆ派かしらソース派かしら、ちゃんとふたりぶんつくってるのかしら。あたしはベッドのうえにころがったままそんなことばかり考えて、ああぼけてる、と思った。
台所からじゅうじゅうという音が聞こえる。カーテンのすきまから光がもれている。
あたしは、先生が料理しおわったらつきあってるひとがいるなんてうそですよと言おう、と、ぼけた頭のまんまで考えた。
end
趣味に走りすぎました
07/05/27 嘘も方便