the falling arm





 ふわりとカーテンがゆれた。だっておれが窓のむこうからさっそうとあらわれたのだから。
 こんばんは。おまちしてました。ちっちゃいやつは言った。待ってたってなんだ、おれはいきますなんて言ってないのに。おれが口をへの字にしたらラーサーは楽しそうに笑った。
 本当はおれがくることをラーサーが知っていたのは当然だ。だって今日の昼間にパンネロがラーサーに招待されてここにきてたんだから。おれはパンネロがラーサーに会いにいったらその日のうちにおれもこいつに会いにくることにしている。だってラーサーはパンネロがすきなんだ、パンネロに会っておれのことをわすれられたらたまらない。
 だからおれは空賊らしく窓から登場。パンネロみたいにバッシュにここまでとおしてもらうなんていきじゃないやり方はしないのだ。そしてその習慣はすっかりおれだけのものではなくなり、ラーサーは最近パンネロが帰ったあとにおれを待つのをかかさない。なんだこれ、まるで一心同体じゃないか。

「おみやげは?」

 ラーサーが言った。わるいけどおれはそんなもん用意しない。今までだっていっかいもそんなものをこいつにやったことはない。でもぜったいはじめにそれをたずねるこいつは案外と性格がわるいのだ。

「パンネロさんは持ってきてくれました」

わざとらしいぶうたれ顔。ちくしょう。ラーサーはパンネロの名前を言うときとてつもなくうれしそうな目をする。かわいい。ちくしょう、かわいいかわいい。いらいらするじゃないか、パンネロのせいでそんな顔するなよ。しかもこいつはおれがその顔やめろって言えないのを知っててやってるとしか思えない。だってかわいいんだ。

「クッキーと紅茶を用意しますね」

 ラーサーがくれる食べものはみんなうまい。毎日こんなもん食って生きてんのかと思うと腹がたつ。毎日食わせてくれ、と前に言ったら、プロポーズみたいと言われた。確かにそうだった。本当にその気で言えばよかったなあとおれは実はいまでも後悔している。ラーサー、おまえがいれた紅茶を毎日おれにのませてくれ。

「空賊稼業は楽しいですか?」

 それはもう楽しいったらないさ。パンネロとふたりでそこらじゅうとびまわってるよ。わざとパンネロの名前をだしてやったら、ラーサーはふうんと唇をとがらせた。おまえのその顔すっげえかわいいんだぞ、知ってるか。おれは、おまえのかわいい顔はほとんど知ってる。おまえが知らないのだってなんだってな。
 でも、実はおれはもっと知っているのだ。ラーサーが本当にすきなのはパンネロじゃないって。
 おまえはわすれたつもりなんだろうけど、おれはそうは思っていない。実際それはおまえのかんちがいだ。確証もなにもない。ただのおれの思いこみだけど、おれの思いこみは意外と真実であることがおおいのだ。
 だからおれはラーサーはパンネロがすきなんだと思いこむことにした。それが真実になればいいなあという希望をこめて。でもそんな打算的な思いこみはむだにおわった。結局おまえはあのおっさんがすきなんだろ、そうなんだろう。
 死者に勝ち目はないってだれかが言ってた。そしてそれはいやになるくらいそのとおりなのだ。

 ぼく、ヴァンさんがすきです。むかしラーサーはそう言って、それからパンネロさんもバッシュさんもだれもかれもとよけいな言葉をならべてくれた。おれのおどろきと歓喜をかえせこのやろう。みんな同列かよ、おれもパンネロも同列かよ。

 唐突に、キスしたいと思った。そんなのこいつのよこにいたらいつもだ。でもぜったいしない。というよりできない。だってもしかしたらこいつおれより何倍もいろいろ知ってるかもしれない。キスのやり方だってよくわかってないおれ、あのおっさんになにされてなに経験してなに知ってるかもわからないこいつ。手をだすには難関すぎるってやつだろう。
 それだというのに、今日は気分がのっちまったらしい。おれはあっさり口にした。キスさせて、と。
 さっきまで上品な笑顔をはりつけていたラーサーは、ぽかんとまぬけな顔にはやがわり。わざとらしい笑顔よりそっちのがかわいいぞ、ラーサー。でもいつまでもその顔が見ていたいというおれの希望はからくもくずれさり、ラーサーはすぐにしらけ顔にかわった。

「ぼくはパンネロさんの練習台ですか?」

そうだった。なによりこまったことに、ラーサーはおれがパンネロをすきだと思っているのだ。
 そんなふうに言われちゃ、このまま告白のひとつでもしてやろうと意気ごんでいたのが簡単にくずれさってしまうじゃないか。おれはああとかうんとか返事にならない返事を口のなかでころがして視線を天井にむけた。ラーサーの顔が見れない。

「いいですよ、べつに」

 一瞬ラーサーの言葉がききとれなかった。いまなんて言った。

「べつに、いいですよ、それくらい」

おれはおどろきで声がでなかった。それ以上に、絶望と失望のせいで。
 それくらいってなんだ、おれがいままで必死にこらえてきたそれをそれくらいってなんだ。やっぱりおまえは、それくらいじゃないもっとすごいことを知ってるのか、おれの知らないようなことをあのおっさんに……。
 ラーサーのおれを見る目はまるで期待にみちていた。してほしいのか、おれにしてほしいのか。
 本当はわかってた。ラーサーがおれじゃなくてあのおっさんを見ていたことを。おれをあのおっさんのかわりにしようってんだろ、わかってるよ。おれがおまえをパンネロのかわりにしてると思ってるから、おまえもおれをあのおっさんのかわりにしようとしてるんだろ。
 でも残念だったな、おれはおまえをだれかのかわりにあつかうつもりなんてないんだ。おまえはおまえでそれしかないんだ。




end






いつもとはテイストをかえてみようかと思ってみたら ヴァンがただの気持ちわるいひとに なりました (…)

07/05/11 落下する腕