No title .
フランがパンネロの家にくるときはいつだって唐突だ。今日も例外なくなんの前触れもなく現れて、鍋をしようとスーパーの袋を差し出してきた。彼女がきたのは午後五時頃だった。
今日は土曜日で、パンネロは日曜日を有意義に過ごすため明後日の学校に備えた課題を片付けている真っ最中であったので、フランを中に通した後もしばらくその作業に没頭した。その間フランはパンネロが最近買った恋愛小説を読んでいたみたいだが、パンネロはフランが恋の物語がすきじゃないことを知っている。だからパンネロは、早く課題を終わらせて相手をしてあげなくちゃ、と思った。
しかし意外にも課題はくせもので、結局夕食の時間ほどになっても片付かなかった。パンネロはしょうがなくペンを放り投げて、フランに声をかけた。鍋の準備しよっか。
どうしてフランが唐突に鍋をしようと言い出したのかはわからなかったが、フランの家には土鍋がないらしいからパンネロの家にきたのは当然だった。(当然だったと言えるのが、実はパンネロにとってはとても幸せだ)
石狩鍋と普通の鍋の違いを知っている?具財を切っていたら、隣で昆布出汁をとっていたフランが言った。パンネロはえっとと一瞬考えて、しかし鍋のことなんてよく知らないから、わからないと言うと、鮭が入っているか入っていないかの違いなのよ、と囁かれた。パンネロはへえと思いながら彼女の意外に主婦的な知識の多さに驚いた。ついこの間、フランがすき焼きをしようとスーパーの袋を右手に提げてやってきた時も、どうして肉と白滝を隣にして煮てはいけないか知ってる?と訊ねられて、パンネロはそもそも肉と白滝を隣にしてはいけないということも知らなかったから、どうして?と聞き返すと、肉がかたくなったり色が悪くなったりするからよ、なんて今のように囁かれた。パンネロはなぜかフランの脳内はとても高貴な世界なんだと思い込んでいたから、そんなふうに鍋の話やすき焼きの話が彼女の口から出てくるのはとても不思議な感じがしていた。(別に、鍋やすき焼きが高貴じゃないと言っているわけではないが) そして、フランはものしりだね、というと、そんなことないわ、と無感情な返事がかえってくるのも不思議な感じがした。
ふたりとも食べ終わって、しかしフランが材料を買いすぎたためにすこし余ってしまい、するとフランが、じゃあ明日のお昼もこれを食べましょうと言ったから、パンネロはフランがすくなくとも明日の昼まではここにいる気なんだということを知った。ふうんと思いながら、パンネロはやはりうれしくて、うん、と思いのほか力強く頷いてしまった。
ふと、畳の上に置きっぱなしになっていた空になったスーパーの袋の横に、ちいさなビニール袋があるのが見えた。パンネロがそれを手に取ると、ビニール袋には全国チェーンの100円ショップの名前が印刷されていた。そして中には、なぜかわからないけど細い銀のフレームの眼鏡が入っていた。フラン、なにこれ。フランの目前にそれを差し出すと、彼女は自分でも、なにそれ、という顔をした。パンネロは、また衝動買いしたんだろうな、と思った。
フランは、いつも変な買い物をする。それが今日は、すぐに壊れるであろう100円の伊達眼鏡だった。そしてフランは、もうすでにどうしてこんなものを買ったのか忘れている。パンネロには、フランの衝動がどのようにしたら刺激されるのかわからない。いつも変なものを買っては、買ってすぐにどうしてこんなものを買ったのかしらという顔をする。じゃあ最初から買わなきゃいいのに。パンネロはいつもそう言い、フランもそうねと頷くのに、フランがこの謎の買い物をやめる気配はない。
買ってしまった手前、使わないとどうも決まりが悪いらしく、フランはその眼鏡をついとかけた。彼女は買ったものはどんなものでもちゃんと一度は使ってみる。それはすこし意固地になったこどもみたいに見えて、パンネロはいつもかわいいな、と思うのだが、あまり口にはしない。似合う?と訊かれて、パンネロは一瞬考えるふりをしてから、彼女の眼鏡姿を見た瞬間に思ったことを口にした。あんまり似合わない。するとフランは目をぱちぱちとして、唇をへの字にした。そう、と言って、でもフランは眼鏡をはずしたりはしなくて、パンネロはまたフランがこどもになったと思い、思わず唇の端が上がりそうになった。かわいいな、なんて。すると、フランはふいに腰を浮かして、中途半端に笑みをかたどりそうになったパンネロの唇にキスをした。とても短い一瞬だったそれは、パンネロが予期していなかった接触であり、思わず薄いガラス越しにあるフランの瞳を見つめた。そういえばデザートを買うのを忘れていたから、今ので我慢しておくわ。フランは、やはりガラス越しのきれいな目元だけで笑って、ああでも、りんごが食べたくなっちゃった、と、りんごのように赤くなったパンネロのほほをなでた。
end
書けば書くほどフランが別人になってゆくのです
07/02/23 無題