Can I escape from conflict
by difference of recognition
to self by myself and by others ?
「あなたはやさしいのね、パンネロ」
フランが言った。あたしがやさしい?彼女らしくないかんちがいだと思う。あたしはやさしくなんてない。ただ自分がかわいいだけだ。自分が傷つくのが嫌なだけだ。他人を傷つけることはそれ以上に自らを傷つける。あたしはそれを知っている。だから決して相手が傷つくさまは見たくない。偽善にもなりきれない。だから、そんなことを言うのはやめてほしい。フランの言葉は重過ぎる。
あたしはフランが、みんなが思っているような人間じゃない。みんなあたしのことを美化しすぎだ。あたしはそんな立派な人間じゃない。そう感じるたび肩が重くなる。けなされた方が、悪意を向けられたほうがまだましだと思う。でも本当は悪意を向けられるのが恐い。本気の悪意を感じると息ができなくなるほど胸が熱くなる。それはとても不快だ。
だからあたしは、悪意を向けられないように自分をつくる。悪意を向けられたほうがましだと思っているはずなのに自分をつくってみんなが自分を見る目を操作する。弱さによる矛盾はあたしを追いつめる。でもそれ以上に、フランにそう言われると発狂しそうになるの。だからそんなこと言わないで。
「あたしはフランに本当のあたしを見てほしかったのかもしれない」
「見てるわ」
「うそ、あたしはやさしくなんてない」
「私の言葉が信じられない?」
「…信じ、られない」
信じられない。信じられるはずがない。だってあたしは、やさしくなんかない。でも心の一端がそれを信じかけている。だってあなたの言葉は弱いあたしには重過ぎるもの。でもそれを信じたらきっとあたしはもう終わる。なにが終わるのかはわからないけど、絶対になにかが終わる。
だからフラン、そんな顔をしないで。あなたを信じられないあたしをきらいにならないで。
「ヒュムというのは本当に面倒な生き物だわ」
フランの言葉が突き刺さる。フランにそんな台詞を言わせるなんて、あたしは本当にどうしようもない。フランはきっとあたしがフランの言葉を信じかけていることなんてお見通しだ。それでもそれを否定するあたしはフランの目にはどんなに滑稽にうつっているだろうか。
「私はあなたにうそはつかない」
フランはやさしいもの、あたしのように偽者の作り物のやさしさなんかじゃなく。でもそれなら、いっそのことあたしをめちゃくちゃにしてほしい。そのやさしさで以ってあたしを壊してほしい。本当のことを言ってくれればそれでいいから。おねがいだからあたしを助けて。あなたの言葉を信じそうになるあたしを助けて。あたしは汚い人間なの、酷い人間なの、おねがいだから、あなたもそう言って。
そう願うあたしが本当のあたしだ。そう、あたしはそんな人間。でも声に出しては願えない。だって、あたしの本性が知れて悪意を向けられるのが恐いから。なによりも、フランに向けられる悪意がきっといちばん痛いから。
「私はあなたにうそをつかない」
それがうそにしか感じられないあたしは本当にずるい。
end
私的パンネロイメージの一部。パンネロの潜在意識の一端。フランはそれを完璧に読み取ってるけど助けようとはしない。でも応援はしてる。そんな感じ。
07/01/-- 自己に対する本人からと他者からとの認識の差異による葛藤から逃れられるか