Afraid to die ?





 死というのは絶対的なものでそれに直面すれば未来はないし過去も消滅する。死はなによりも強烈に生命体を支配する。だから人間は死が恐ろしいのだ。
 ぼくは死後の世界が見てみたいと思う。いや死後に世界なんてないんだから、正確に言えば、ぼくという自我がどうなるのかということを見てみたいのだ。肉体ならば土に還る。しかしこの目に見えないがこうして確実に存在しているぼくをぼくと認識している意識はどうなるのだろうか。想像もつかない。

「死んでみたらわかるのかな」

以前そう言ったら、ガブラスが目を見開いてぼくを見た。まるで反射的にあの人はぼくの肩をつかもうとしたけれどふれる一瞬前に腕はだらんと重力に引きつけられた。あの人がなぜあんな驚いた顔をしたかは今もわからない。もしぼくが本当に死ぬと思って止めようとしてくれたのなら嬉しかった。でも結局あの人はぼくの肩にはふれてくれなかったのだ。
 きっと死んでしまっても自我がどうなるかなんてわからない。だって、死ねばそこにあるのは無なのだから、無になってしまったぼくが自我の行く末を確認することはできないのだ。だから死んでみようとは本気で思ってなんていなかった。
 それに、死ねばいつかみなぼくのことを忘れる。それは嫌だった。ぼくは昔ぼくがきらいで、ぼくの周りにいる人がきらいで、生きていてもなんの面白みもなかったから死んだらちょっとは楽になるのかなと思っていた。そして死んだら周りの人はぼくのことを認識してくれる、それはとても嬉しいことだ。だからぼくはぼくが死んだ後周りの人がぼくのために泣いているのを夢の中でいつも想像していた。でもぼくは気づいたのだ。彼らの涙は一瞬しか存在しない。時間というものがぼくの跡形をさらっていき、ぼくの死からたいして遠くもない未来には世界はぼくがここにいたことを忘却するのだろう。ぼくにとって絶望的なそんな未来を迎えるために死ぬことはない。死んだぼくに未来はないけど、周りの人の未来の中のぼくがそんなふうになるのはいやなのだ。ぼくはぼくがきらいで周りの人もきらいで今の世界に希望を持てなくなったら、必ず順を追ってそう考えることにした。そしたら、ぼくが死んだら、と考える回数がどんどんと減っていった。
 だからガブラス、ぼくは死なない。確かに死に対する興味はとてもある。でもぼくは一生それについての詳しくは知れない。生きている限り死がなにかなんて死によって自分がどうなるのかなんてわからないのだ。だからガブラス、ぼくは死なないんだ。でも。

「ぼくはあなたにふれてほしかった」




end






こんな12歳いやです それでいて多少の矛盾は12歳だからですませようとするへぼ管理人

07/01/-- 死ぬのが恐いか